いじめられてることを誰かに知られるということ

フルーツバスケット第5巻27話より

 「言えないです・・・。

 『イジメられている』なんてやっぱり・・・言いづらいです・・・。

 私も・・・言えなかったです・・・。

 でも、しばらくたって知られてしまって、その時・・・

 何やら私はバカみたいに謝ってしまって、何かとても、情けなくて、

 イジメられるような自分が情けなく思えてきて、

 それをお母さんに知られたのが恥ずかしくて、

 もし、そんな自分が嫌われたらどうしようと考えたら、怖くて、

 だから、だからお母さんに『大丈夫だよ』って言ってもらえた時、

 とても安心したです。

 『恥ずかしくなんてない』って言ってもらえて、

 とても安心して、また泣いてしまったです。

 杞紗さんも・・・同じ気持ちなのかもです。

 ・・・嫌われたく、なかったんですよ。

 お母さんが大好きだから、いえなかったんですよ・・・。」

私も子供のころ一時期いじめられてる時がありました。でもその事を親に言う事なんてできませんでしたね。台詞のようにいじめられてるということが恥ずかしくて情けないから、そして親にいじめられているという事を知られるのが無性に怖かったから


いじめられたら助けを求めろ、相談しろとよく言われるけど第三者にいじめられているという事を知られることは人によってはいじめを我慢するより苦痛になることがある。それがいじめの問題がなかなか発覚しにくい要因の一つであるのかなと。


とはいってもこれを解決するのは本当に難しいことではあるでしょうけどね。せめていじめられている事を吐露できる場所を作るのも一つの解決策なのかもしれない。そういう意味では学校裏サイト等でいじめの温床になっていると言われるネットがまたいじめられてる人を助けてくれる場にもなるのかもしれない