江戸時代にも神様は作られていた

http://sinseihikikomori.sblo.jp/article/21936784.html
この記事を読んだ後、「杉浦日向子の江戸塾」という対談本の中で宮部みゆきとの対談の一節を思い出しました

宮部:ところで生き神様もいたんですよね。


杉浦:ええ、たくさん。長生きの人に一筆書いてもらって長寿のお札にするとか、二十年間、火事にあっていない人に一筆書いてもらったものを火伏のお守りにするとかしていました。本人の意思でなく、周りの評判で神様になってしまう


宮部:即席神、にわか神様ですね


杉浦:みんながあやかりたいと思う人だから「あやかり神」


宮部:富くじにあたった人なんかも?


杉浦:たちまち神様になってしまいます。ウンがつくということで、富くじにあたった人のお手洗いの紙、つまり不浄紙をほしがる。もちろん使用前でしょうけど。それを懐にしのばせて富くじを買いにいくわけですね。


宮部:それはすごい(笑)


杉浦:買ってきた富くじを不浄紙に包んで神棚に上げる。俗臭ぷんぷんで愉快ですね。


宮部:ご利益がありそう。今は信仰をもっているというと、すごくおおげさになってしまいますけれど、江戸の人はたちはみんな自分の家の中に好きな神様を祀って、感謝したり、あやかりたいと願っていた。そういう生活に馴染んだ信仰が理想なんじゃないでしょうか。今は消えて無くなってしまった習慣のようですが


神の大安売りや量産をしてしまうのは昔からあった事のようです。そしてネットの時代になってまたそんな神が増えてきている。その要因は上記の記事のように寂しさからなのか。それとも本で述べているようなあやかりたいという願いなのか。どういう理由にしろこんなところにも昔からの日本人の考えが受け継がれているのは面白いなあと思う