政治家の本音

韓非子」顕学編より。政治家の本音ともいえる一文

(本文)
今。治を知らざる者は必ず曰く、民の心を得よ、と。民の心を得て、以す治を為す可くば、則ち是れ伊尹・管仲用いる所無く、将に民に聴かんとせんのみ。民智の用う可からざること、猶お嬰児の心ごときなり。夫れ嬰児首をそらざるときは則ち腹痛み、座をさかざるときは則ちようやく益す。首そり座をさくには、必ず一人之を抱き、慈母之を治す。然るに猶を啼呼して止まず。嬰児子は其の小しく苦しむ所を犯して、其の大いに利する所を致すを知らざればなり。今、上、田を耕し草を墾るに急にするは、以て民産を厚くするなり。而るに上を以て酷と為す。刑を修め罰を重くするは、以て邪を禁ずるが為なり。而るに上を以て厳と為す。銭粟を徴賦し、以て倉庫に実つるは、且に以て飢饉を救い、軍旅に備えんとするなり。而るに上を以て貪と為す。境内必ず介を知りて、私解無く、力を併せて疾闘するは、禽虜する所以なり。而るに上を以て暴と為す。此の四つの者は治安ずる所以なり。而も民悦ぶを知らざるなり。夫れ聖通の士を求むるは、民知の師用するに足らざるら為なり。昔、禹江を決し河をふかくして、而して民瓦石を聚む。子産畝を開き桑を樹えて、鄭人謗誓す。禹は天下を利し、子産は鄭を存して、皆以て謗りを受く。夫れ民智の用うるに足らざること亦明らかなり。故に士を挙げて賢智を求め、政を為して民に適うを期するは、皆乱の端なり。未だ与に治を為す可からざるなり


(解釈)
いま真の政治を知らぬ者は必ずいう、民心を得よ、と。しかし民心を得れば治まるならば、伊尹や管仲を使う必要もなく、ただ人民に(どうして欲しいか)と聴きさえすればよい。ところが、人民の知恵など用いるに足りぬことは、赤子の心と同様である。すなわち赤子は、頭髪をそらぬと腹を病み、できものをえぐらぬと、それを広がる。そこで髪をそり、できものをえぐるには、必ず一人が抱き、母が手をくだすのだが、それでも赤子は泣きわめいてやまない。赤子は、少し苦しいことをやってのけて、あとで大いに楽をするようにしてもらうのが分からないのである。
いま朝廷が(民に命じて)田を耕し草を取ることを励ますのは、それで民の生活を豊かにしようとするのである。しかるに民は朝廷を酷いという。刑を整え、罰を重くするのは、それで邪悪を禁じようとするのである。しかるに、民は朝廷を厳しいという。銭や穀物を徴集して倉庫にみたすのは、それで飢饉を救い、戦争に備えようとするのである。しかるに民は朝廷を貪欲だという。国内すべてが戦闘のことを習って、自分勝手に義務を免れることがなく、万民が力を合わせて勇敢に戦いうるようにするのは、敵を討ち捕らえるためである。しかるに民は朝廷を暴虐だという。これら四つの措置は国を平治し保安するためのことである。しかるに民はそれを悦ぶことを知らないのである。
そもそも君主が賢士を求めるのは、人民の知恵などこれに倣い用いるに足らぬためである。昔禹が長江に分流を作り、黄河の床をさらい、治安 に苦心したとき、人民は怨んで瓦や石を集め禹に投げつけようとした。鄭の子産が大いに田を広げ桑を植えて、農産を励ましたとき人民はこれを謗った。禹は天下を助け子産は鄭を救ったのに、ともに民の謗りを受けた。民の知恵など用いるに足らぬことは、これでよく分かる。
こうしたわけだから、君主は人を用いるのに(儒家墨者のごとき)賢智の士を求めたり、政治を行うのに民心をかなうことに望んだりするのは、みな国の乱れる因(たね)であって、こうした君主とはともに国を治めることができないのである。
※本文、解釈とも明治書院 新書漢文体系「韓非子」より


朝廷という言葉を「政府」や「政治家」に変えるとそのまま現代でも通じてしまいそう。民衆は何かと文句ばかり言う、民衆の言う事なんて聞いてはいられないというあたりはそう思っている政治家もいるだろうなあ。とはいえ民衆の心を得なくてもいいかというとまたそれは別で、こういう韓非子の思想を採用した秦は中国統一は果たすもののその後史上初の農民反乱と言われる「陳勝呉広の乱」が起きそれをきっかけに反乱が続出。結局統一後3代、15年で国は滅亡してしまう


民衆の言うことを全て聞いていては政治はできない、かといって全く聞かないでいると混乱を招く事態を引き起こす事がある。そのあたりの政治のバランス感覚は今も昔も変わりはしないのでしょう